沿革

この地が開発されたのは昭和47年(1972年)11月、当時の日本は「日本列島改造論」が発表され空前の好景気に沸いていました。旧安宅産業株式会社が南葉山ハイツの開発を行い、葉山在住の作曲家故團伊玖磨氏が分譲の宣伝を担われました。同氏はこの地から望む美しい海と山の借景を愛し、晩年までこの地で過ごされたようです。

居住者は、これまでにさまざまな課題を力を合わせて解決してきました。中でも旧安宅産業の経営破綻にともなう浄化設備の自主管理化は象徴的な取り組みになりました。その後、自治会での浄化設備運営の困難さから南葉山ハイツは法人化され、現在に至ります。浄化設備は、134号線の市の本管に接続されたことにともない売却されました。

平成12年(2000年)、富士山・相模湾・江ノ島・長者ヶ崎を望む日本でも唯一無二の景観と住環境の維持向上を目的に建築協定を制定しました。これにより、小規模(100坪以下)分譲や共同住宅などの開発はできなくなり、現在の美しい南葉山ハイツの景観がいまでも維持されています。

年表

・昭和47年(1972年)11月:南葉山ハイツ 分譲
・昭和60年(1985年)10月:南葉山ハイツ自治会 設立
・平成10年(1998年)3月:南葉山ハイツ団地管理組合法人 設立
・平成12年(2000年)1月:建築協定 制定
・平成18年(2006年)3月:本下水管 接続
・平成19年(2007年)1月:浄化槽跡地 売却